当社の歩み

創業昭和59年

独り、立つ
屋根工事から始まった道

昭和59

創業。
屋根職人としてスタートしたのは、まだまだ日本中、至る所に萱屋根があった時代。
雨漏りは「あって当たり前」だった頃、人々の悩みを少しでも解消出来ないかと思い立ったのが始まり。
東京の都会といえども、まだまだ古き良き原風景が残り、貧しくも心豊かな人々が未来を夢見ていた時代です。

当時は萱屋根職人が非常に少なくなり、屋根の改修及び葺替えが思うようにできなくなっていました。
また萱屋根は火に対して弱く、そうした諸問題から萱屋根に金属の波板等で改修を行なうようになり、波板ではあまりに見た目が不格好なので瓦型をした金属製の屋根材が開発されました。
これが大変大きなヒット商品となった時代です。
創業当初、中山化成の「ルーフィックス」という屋根材を手掛け、販売施工をしましたのが、そもそも屋根業界に参入した始まりです。

昭和61

次世代の屋根材として「ルーフィックス」を進化させたものを作りたいと提案があり、
当社の現会長茂呂三衛と現社長横山従次がその企画に賛同して開発に加わりました。
当時の金属製屋根材は鉄が多く使われておりました。
鉄は錆びる弱点があり、屋根は家の中でもっとも雨風に曝される場所である為、
その改善が課題となっておりました。
そこでガルバリウム鋼板という錆びにくい性質の金属を新日鉄がいち早く技術提携を結んで、アメリカから日本に導入し、屋根材にも利用することとなりました。
昭和63年ガルバリウム鋼板製の瓦型屋根材、「新しいルーフィックス」すなわち「ニュールーフィックス」を開発しました。

萱屋根はもちろんですが、市場動向を考え、地方の萱屋根だけでなく、むしろセメントを材料としたスレート屋根(ex.コロニアル、カラーベスト等)がその特徴である軽く・デザイン性に優れ・単価が安い為、新築の屋根に爆発的に取り入れられておりました。
ですが、現在では多くの方に危険性が浸透しているアスベスト(石綿)も当時はまだまだ認識が薄く、また全体的に耐用年数がそれほど長くない(約20年)問題がありました。
弊社の茂呂が、そうしたスレート屋根の改修も視野に入れ、「ニュールーフィックス」の形状を、セメント製の平らな屋根材の上に重ね葺する材料として、都市部にも販路を広げることとなりました。

設立平成3年

お客様に根を張った工務店スタイル

平成3

設立登記。
小さな屋根屋から法人へ。
少ない人数ながらも、広告媒体を通し、千葉・埼玉・茨城と工事範囲を拡大しました。
平成13年には「ニュールーフィックス」さらに進化させた「ニュールーフィックス静涼」が開発されました。
全国でも指折りの販売実績を有する中山化成の「ニュールーフィックス静涼」、
日本有数の金属屋根メーカーセキノ興産の平葺屋根「ダンネツトップ8-1」、
神社仏閣と日本伝統の建築と長年に渡り関わってきたカナメの「瓦王」。
この三種を葺替の屋根材とし、金属屋根への改修を行なっています。

平成19

一度工事をしたお客様を大事にしたい。
その想いから、外壁・浴室・トイレ・キッチン・床・増改築と「おたくでやってくれないか?」の要望に応えた結果、新築も手掛けられる総合建築業として登録を行なうに至りました。
そもそも会社の姿勢の根幹は、昔の工務店がそうであったように、お客様と真剣に向き合う。お客様ととことん向き合う精神で様々なニーズに対応しております。

転換平成15年

建てたら朽ちるまで
次世代を見据えて

平成24

本社移転
「建てたら朽ちるまで、手がけたら最後まで」の理念を中心に据えて、
今では長年に渡ってお付き合いしているお客様に支えられて当社があります。
お客様の大事なマイホームが無くなるまで、責任を持ってお付き合いを続けたい。
その為に、若い力を増やし、手狭になった旧本社事務所から現在の広い事務所へ移転を行ないました。

平成26

最後まで頼れるパートナーでありたい。ひとりでも多くのお客様に、安心してもらえる会社でありたい。
小さな屋根屋から始まった当社は現在、関東甲駿豆をカバーする会社へと成長しました。
ゆくゆくは全国展開を見据えて、これからも一歩一歩、お客様と向き合いながら歩んでゆきます。

企業情報
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